行動したいと思っていながらなかなか前に進めない理由
前回の記事から少し時間があいてしまいましたがこんにちは。
ハンドメイドと草花に触れる田舎暮らしをエンジョイしております。
ハンドメイド作家さんの一部にはあるある?かもしれない「煮詰まり」を題材に、じぶんカウンセリングでもしてみたいと思います。
※カウンセリングほど親身で丁寧でも優しくもないよ!
・このところ考えすぎて行動できずに煮詰まることが多いです。
・・・このところも何も、もう長いことそうなんですが。
「考えるより行動」派の人が羨ましいぐらい、ものひとつ作るのにも無駄に考える時間が必要になっている自覚があります。
毎回何をそんなに考えてるのか自分でもよく分からないけど、「コレ作ろう!」と思い立ってから実際に制作に移るまでびっくりするぐらいの時間がかかることもあります。
作る物の規模にもよるけど、1ヶ月くらい唸っていることも珍しくありません。そしてそのまま腐らせることもしばしば・・・
今日は、どうやったら考え込まずに行動できるか?アクションに移すまでのハードルは何か?
そんなことを考えたいと思います。
・考えることが悪いんじゃない、無駄に考え込むのが悪いんだ
じゃあ、どこからどこまでが「意味のある考え」で、どこからどこまでが「無意味な考え」なのか?
今までの考えすぎてきた実例を思い出すことが難しいので、無難な例を挙げてみることにします。
・私は普段、自分の描いたイラストを使ったもの作りをしています。
・新たに絵を描いてこれをポストカードにして販売してみるとします。
・そしてポストカードを作ることが初めてだったとします。
まず何の絵を描くか考えます。
私は自然の草花が好きなので、季節の草花の絵を描くとします。
草花の種類は何にするか?何種類くらい作るか?
どんな紙に描くか?紙はどこで買うか?
何枚くらい作るか?いくらの値段をつけるか?
こんなことを考えます。
これらの項目は無駄ではないし、むしろ私にとっては決まってないと進められない・進めにくい部分です。
描く対象なんて、決まってないと描けないよね?そのくらいの段階。
だいたい考えていることはいつもこのくらい(しか思いつかない)のに、何にそんなに時間がかかってしまうのか。
答えは私の「検索癖」にあるのではないかと思います。
自然の草花と一口に言っても、日本に存在する品種だけでいったいどれだけ存在するのでしょうか。
その中から季節の品種だけに絞ったとして、季節の草花を紹介するホームページはどれだけ存在するのでしょうか。
検索の基本は、複数サイトからの情報を集めることです。
複数のサイトと言ってもどれだけの数を訪れると満足するのか自分でもわかりませんが、この時点で私の求めている情報と目的がすり替わっています。
どんな草花を描くか決める
から
季節の草花の品種をできる限り漏れなくリストにする
にシフトしています。
ネットサーフィンをしているとよくあることですが、そもそも知りたかった情報をそっちのけにして関連情報を転々とし一日が終わる。
そんな寄り道に寄り道を重ね、途方も無い時間を過ごしてしまいます。
ここまでくれば確実に「無駄」。いつか何かしら役立つとしても今は不要です。
・×考えてる時間〇悩んでる時間
考える時間が長いというのも、こうやって整理してみると単に時間を浪費しているだけで頭は回転していないことに気付きます。
本当は例え話ではなく、これまでの自分の創作計画を例に記事にしようとしたのですが、思い出して説明しようとしてみるとあまりに短くスカスカでした。
なんであんなに時間がかかっていたんだろう?と思うほどに、「実際考えていたこと」というのは実に少ない。
実際に時間を消耗していたのはネットサーフィン。
気がすむまで沢山のサイトを見て、もうこれ以上新しい情報は出てこないなと思ってようやく次のステップに進むかと思いきや、何度も調べなおして立ち直ってを繰り返す。
次のステップ、というのはこの場合、調べつくして出てきた数々の草花からどれをモチーフにするか決めるということ。
ですが、びっくりすることに、2~3回の検索で出てきた品種を選択しているんです。
しかも、それって調べる前に自分で思いついた種類だったりするんです。
つまり、描きたいものには既に出会っていたのに描かなかった。
私はもっとふさわしい出会いを求めていたのでしょうか?
ですが、選ばれた草花は決して妥協で描かれるわけではないのです。
「うん、やっぱりこれだな」と思って描かれるのです。
これがほぼ全ての行程で行われます。それは時間かかって当たり前。
描きたい花を描いたらいいじゃない!と、そう思いますか?
ところが、絵を描いて何かしらの創作物にしたいというだけで、それ以上今の自分に残っているものが無いのです。
でも「季節の草花」というワードは出てきた?これは最近発見したことで、どうやら私は草花を、生花店に並ばないような素朴な花が好きらしい。
私は絵を描くことを本業としていますが、求められるものを作り続けると本当に作りたいものが分からなくなっていきます。
更に、幸か不幸か多少手先が器用です。自分にできることをやる、という人も世の中にいますが、私の場合「これが自分の創作だ」と思えるフィールドがイラストなのかどうかも怪しいのです。
それでも生涯通して一番継続してきた創作はやっぱり絵ですので、寄り道もいっぱいしましたが何とか絵に落ち着いたというところです。
作りたいものを作りたいのか?売れるものを作りたいのか?
売れるには何を作ればいいのか?それは作りたいものなのか?
そういう渦の中で、何とか創作活動だけは続けていきたいという想いは変わらずにいます。
・実際の作業に入る前の想定を繰り返す癖がある。
もう一つは、実際の作業の行程が本当に上手くいくかどうか、何度も考える癖もあります。
手順のシミュレーションは決して無駄ではないけど、何度もやったって100パーセントのデータは得られない。
それこそやってみないとわからない、というやつ。
私の場合は最終的に商品として販売することを目的に制作することが殆どだけど、その殆どで利益計算がシビアという特徴があります。
材料費がどれだけで、梱包がどれだけで、いくらで販売して・・・
これは、創作自体が自身の大きな収入源として確立することを目標にしているからです。
勿論、儲けのことは考えないといけません。ですが、考えすぎて足が止まっているようでは収入に成り得ないのは誰にでも分かる事実です。
足踏み状態から完全に足が止まったとき、それまで使った時間が本当に浪費で終わってしまいます。わずかな経験などはあるかもしれませんが、それこそ儲けを軸に考えたらかなりのマイナス。
そして驚くべきことに、手元に材料が全て揃った状態から完全に足が止まることも珍しくないのです。利益計算ドコイッタ
・衝動が足りない
ここまで時間がかかってしまう理由の最たるはこれだと思います。
突き動かされるものがあれば、とどまる時間も惜しいはず。
私の創作衝動は年齢と共に減少しています。
それと比例しているかは分からないけど、意味のある物を作りたがるこうになっています。
衝動は減少しつつも今年に入ってなんとか創作を続けたいという思いから、頑張って搾り出しています。
なんでそんなに創作を続けたいのかはまた別の機会に語るネタとして、作家がよく言う「リハビリ」とかいうやつだと思います。
十代のころは何がそんなに楽しいのか分からないほど常に絵を描いていました。
何を描こうと考える間もなく、枯れることを知らない泉のようでした。その衝動の源泉はどこにあったのか?不明です。
若い頃は何でも刺激的だから、という月並みな理由かもしれません。
分からないから意図的に得ることはできない。だから、若い頃とは違った創造の火種が見つかればと思います。
・短絡的に作って残るもの=自分らしさ?
私の場合、考える時間が長いのではなく迷う時間が長いということが判明しました。文字を打ちながら新たな自分を発見することは割と良くあります。
頭を悩ませている時間、本当にこれでいいのか迷う時間。決定的な何かが欲しいけれどみつからないし、それを覆すための確固たる自信もない。
納得いくまで調べつくすというのも、目の前のもので決定しきれない迷いの成せる業とも解釈できます。
どれだけリサーチしても、心の中では決まっている。そのことに気付けるとかなり時短できます。
あまり力まずに「創作する生活」を身に着ける。当たり前のように創造する暮らし。そのためには大事です、時短。
案外、短絡的に創作したものの中に見えるものが真理ということもあります。
意識下にある自分の芯。沢山作って、数打った中に見える共通項が自分らしさなんだろうか、とか。
今はできるだけ創作物を増やすこと。それを隔てているものを一つずつ冷静に取り除いていくことが解決の糸口なのかもしれません。
・《解決策》不毛な考えすぎはテスト制作で解消。試作段階を組み込もう
いきなり本番で考えるから色々重たくなってくる。
上記の例だといくつもパターンを決める前にコレと思ったものから着手していけばちょっとは前進できるのかもしれません。
思えばテストなしに量産しようとして一つ目でつまずいて投げること、結構ありました。
何で投げるって、それまでにかけた時間も労力も半端ないし、これさえできれば完成!と思ったところでつまずくから。
ここに至るまでに色んなものが磨り減りすぎてることが原因です。
色んなものを磨り減らしてきた原因-やってもいないのに先々のことまで考えすぎる、ひとつのことに本気になりすぎるのを、トライ&エラーで解決できればと思います。
無謀に進行させるんじゃなくて、実験して実証するための試作だと自分で理解することで、納得して行動に移せるのではないかと。
要は自分が足を踏み出しやすい環境にするために、「試作」という行程を増やすということ。試作を経て本当に意味のある、前進の為の思考が可能になるのかもしれない。
・重く捉えすぎる前に試してみる。その結果を次につなげる
そうやってまず一つ、作ってみること。シリーズ化とかは後で考えること。
本当に成功するか、どこで失敗するか、やりにくいと感じたところはどこか。
その1回があることで2回目からの効率も上がることは間違いないです。
今の私は何とかして創造することを続けたいから、創造することが何か大きな「課題」となってしまっています。
効率を下げることは、コンスタントに創造し続けるためのハードルを大きく下げてくれると思っています。作らないと、やらないと、と思う気持ちが少し軽くなります。
・創作活動でなくても言えること。考えるだけでは100%のデータは得られない。
初めは創造に関するひとり相談室のつもりで書き始めた記事でしたが、記事にすることで創造活動だけに言えることではないと気付きました。
・何かを始めたいのになかなかはじめられない。
・気になる、やってみたいと思ってから長い時間が経っている。
・不安を感じて調べる度に、調べるだけで元の位置に戻る。
・自信が無いからキリの無い自問自答を繰り返している。
そんな人に共通することなのかもしれません。
なかなか前に進めない理由。
私の場合はいきなり本気に考えすぎて重い、というのが最たる理由だったように思います。もっと気軽に、息をするようにと、簡単に言うことはできるけど実行できる気が一切しない。
そのためには、本気の案件を確固たるものにするためにテストするという行程を加えること。
無理に「いきなり本気の自分」を変えなくても、実践しやすい方法は見つけることができる。
何で自分は進めないんだ?
そのことを、責める意味でなく正面から分析することで先進する足がかりになるのではと結論付けます。
休日の過ごし方
久々に休みらしい休み。
外出する予定もなければ、外で人と会う約束もない。
こんな休日はいつぶりか。
これはもう究極にダラダラするしかない!
と思ったのも束の間、何となくもったいない気もして家事をちょこちょこ。
洗面所の排水溝を掃除してみたり、日頃見ないふりをしていたものに正面から向かい合うと、なんとなく清々した気分になる。
自分が怠けてた末の対峙なのに、変に誇らしくなる。
やってやったぞ、自分。
本当にダラダラする時って、無駄に時間があるときなのかもしれない。
限られた休みだからこそ、有意義に使いたい気持ちが沸いてくるのかも。
休職中だった頃は一日一日がものすごく長かった。
片っ端から流行の曲を聴いたり、4クール続く長いアニメを3日で見尽くしたり、10時間続けてゲームしてたり、娯楽に没頭する日々だったなぁ。
そんな、後から虚しくなるような休みも嫌いではない。
たまにはそんな休日を選択することもある。
ただ休職中は、それを選択するというよりも一択だった。
あんまり長く続く休みって、逆に何もしなくなる。
非生産的で、色んなものに触れているように思えてどれも大した刺激じゃない。
次第に休みまくってる自分に変な焦りも芽生える。
浪費するだけの日々がいつまで続くのか。
復職してからは週1の休みか、休みなしという時期もある。
最近は必ず休みをとるようにしているけど、連休あったらなぁと思いつつそうはならない。
究極に体調が悪い時や眠気が抜けないときは、午後からにすることもある。
個人事業なんだから、いつでも休みたいときに休めばいいんだけど。
身体が慣れてしまえば特に辛いこともない気もしなくはない。
これが自分で決めたことでなく強制の週休1日なら絶対嫌だけど。
家事もひと段落して、ようやく今期の衣替え。
「まだ夕方は冷えるから・・・」と逃げに逃げて今頃になった。
最近は衣装ケースから直接夏物を引きずりだしてごまかしながらやっていた。
要らない服を処分する時って、選別した後見返したらダメだなぁ。
絶対「やっぱり捨てない」とかなるから。
最近はそうはなるまいと心に決めて、捨てないけど着ない服はハサミを入れるようにしている。
化繊はホコリ取りに、綿は布巾、雑巾に。
それも躊躇われるような新品同様の服は売りに行く。
人からもらった服って、結局あまり着ないことが多いから、きれいなままタンスに眠っていることがよくある。
売る用の服も、貯めに貯めてなかなか売りに行けないから、これもこれで悪習慣かもしれない。
定期的に古着屋に通わない場合は、やっぱりある程度を目途に処分しないとダメだと思うんだけど、思うんだけど。
そんなことを考えながら、相方の服の繕い物をしている。
うーん、物、貯まるなあ。
デッサンはもっと黒くしないとだめですか?
突然ですが私はデッサン教室を開講しています。
といっても、美大受験用のみっちりした内容ではありません。
いわゆるカルチャースクールです。
少人数制で小規模、モチーフも統一で開講時間も短い教室です。
週に1回、2時間だけを使って皆で共通のモチーフを課題にし、その2時間の間に講評まで行ってしまいます。
受講生は殆どがデッサン未経験者の大人たちです。
独学でやってきた絵の上達に、暮らしのリフレッシュに、いつかイラストが描けるようになりたい、などなど目的や目標も様々。
そんな教室のある日、一人の受講生にこんなことを質問されました。
「デッサンって、もっと黒く塗らないとだめですか?」
指導をしながら、空席があれば私もデッサンをします。
講評時に並べる作品が一枚でも多い方が受講生の成長に繋がると思ってのことです。
その受講生は、私の途中経過のデッサンを見て、思いの外描き込み量が多く驚いたのだそうです。
結論から述べると、黒く塗る必要はありません。
モチーフを観察していると、形だけでなく沢山の種類の光と影が見えてきます。
その光と影を、可能な限り画面内に描き込もうとすると、必然的に画用紙は白く無くなっていきます。
ホワイトを使わない、鉛筆と練りゴム、消ゴムだけのデッサンの場合、一番明るい部分を一番明るく見せるには、他の場所を暗くしてやらないといけない。
その日は透明なガラスの瓶の中に、水を入れた状態でデッサンをしていました。
ガラスなら、強い光はひとつだけでなくあちこちにある場合が多いです。
この中の一番明るいものがいわゆるハイライトで、それ以外の光は、強い光ではあるけどハイライトほどではない。
つまり、強い光の中でも差をつける必要が出てきます。
そうやって光にワントーン重ねたとき、ハーフトーンで描いていた部分と似たような色味になっていては困るので、ハーフトーンにももう一段重ねます。
鉛筆は、重ねれば重ねるほど暗くなっていきます。
明るい部分を明るく見せる。
隣接する影同士の差はこのくらいかな?
そうこう調整しているうちに、最も暗い部分が一層暗くなっていきます。
一番暗い色が10のデッサンと、50のデッサンでは、中間で表現できるグレートーンの豊かさに大きな差が出ます。
つまり、ただ黒く塗るのが正解なのではなく、色味の幅をもたせるために暗くせざるを得ないのです。
沢山の光と影をできるだけ描き込むということが理解できれば、単に黒くするということとは根本的に違うことがわかってきます。
表現したい部分を表現するための適切な濃さ。
これも人それぞれですので、経験と観察を重ねて掴んでゆく他に道はありません。
生徒作品
泡立てられ草の正体
田舎暮らしを始めて触れた、ちょっとした身近な出来事を坦々と綴っていくためのブログです。
鉢の隅に不思議な芽を発見。
形が料理に使う泡立て器に似ているので、泡立てられ草と銘々。
数日前に、育てているエンドウマメの脇に姿を表したこいつ。
エンドウマメは袋栽培で、あまり土の表面がしっかりしていないため、この泡立てられ草を救助すべく山野草の寄せ植に移植してやったのでした。
かれこれ5日ほど経つでしょうか?
緑の芽も瑞々しいので、うまく生き延びてくれたと見て良いでしょう。
しかし、5日も経ってまだ種子の殻から抜けきれずにいる…笑
いつまでも泡立てられ草でいないで、本当の姿を見せてくれ!
ふと、何の気なしに1ヶ月以上放置していた松ぼっくり盆栽をみると…
松か!お前!!
泡立てられ草の正体は、松でした。
【ここで、松ぼっくり盆栽のはなし】
冬に絵のモチーフにしようと道の駅で買った松ぼっくりの隙間に、びっしりとついていた種。
モチーフとしてはかなり邪魔だった種ですが、松の種が松ぼっくりに付いているところを初めて見た筆者は少し感動。
モチーフとして役目を終えた松ぼっくりを、何かに役立てたいと思って調べて行き着いたのが、ぼっくり盆栽でした。
冬に購入したということもあり、発芽するか半分以上実験みたいな感じでしたが…
1ヶ月ほどビニール袋のみすぼらしい温室に放置しておいたら、芽吹いていました!
半透明の袋を使用したこともあり、発見まで少しかかりましたが、松ぼっくり盆栽、第一段階はクリア!
今後もこちらで記録していけたらと思います!
この花なんぞ?
天気もよくお散歩日和。
会社を退いて独立してから何となく生活サイクルも正され、散歩ができる日が増えました。
というより散歩したいと思うようになった、が正しい。
心のゆとりでしょうか?
気にも留めてなかった路傍の草花が妙に目につく(もちろん良い意味で)ようになりました。
この黄色い花、あまりにあちこちで見るのでよほど繁殖力が強いのでしょうか。
春先は至るところにムスカリが咲いていたのを思いだし、うちにも一鉢あるけど土の表面から球根が盛り出している(´∀`;)
ムスカリと重なるようにリュウキンカを見かけ、これも鮮やかな黄色が美しい花で、何度か写真に収めてるはずなのにどこにもない。
どちらも、「やたら目にするな」と気になって調べた結果名前を覚えた花。
こやつも覚えねばなりますまい!
こちら白と紫のフリフリがおとなしげでいながら可愛らしい山野草。
地元の方に頂いたもので、これまた名前知れず。
いや、頂いたときはちゃんと教えて下さったのだけれど、物覚えが悪く(;つД`)
名前の分からない花を調べるのは、少し難しいけど楽しい。
どんなワードでひっかかるか?
これは多分トケイソウか何かそっち系だと思うのだけど。
花が欠けちゃってるけど、どこから生えてるの!ってくらい隙間から生えてきているのがまた愛らしくあります。
と、記事を書きつつ名前を調べておりました。
黄色い花、名前は「ジシバリ」ではないでしょうか!?
この名前、食べられる雑草調べてる時に見たことある気がします。
そしてフリフリのは「タツナミソウ」
調べてみるとなるほど、シソ科らしい花をしていますね。こっちは食べたらダメなやつかもしれない。
知らない植物を見ると名前を調べ、次の瞬間には【名前 食べる】で検索している自分…
綺麗な花でも食べられる!って素敵だと思いませんか?
夢はエディブルガーデンを持つことです。
いつか素敵な土地が見つかった頃に、きっと役立ててみせます!
…繁殖力の強さも覚えておかないと笑
ガーデニングは基本食べ物!
エンドウマメを育てています。
5月頭ごろからちょこちょこ実りはじめ、先日ようやく一回目の収穫をしました。
鞘がやわらかくておいしい!
ちょっと早摘みしすぎた感はあります(;つД`)
前に千石豆という加賀野菜を育てたときは、もっと豆を!と欲張って無計画に追肥したら花がポトポトと落ちてしまいました。
そのままその年の再収穫はほぼないまま落ちる花を鑑賞(´д`|||)
調べてみると、肥料分が多すぎると結実の前に花を落としてしまうのだとか。omg
欲張りが祟って悲しい思いをしたので、今回はのエンドウマメはちょい放置めにいきます!
長めに収穫できるといいなぁ。
因みに、園芸種の花もふつーに栽培しています。
とくに隔てることなく一緒に並べているので、前を通りかかった人には「なんのお花?」と聞かれる豆。
畑をやってる人なんかは、「豆ですね!あ!あっちはイチゴ!」というリアクション。
通行人とのコミュニケーションもまた園芸の楽しみ所でもあります。
今晩のメニュー
はなまるライフブログは、田舎暮らしの中で見つけた素敵な出来事や疑問、田舎ならではの問題やら趣味のガーデニングやら節約ごはんやらを日々綴るブログです。
つまり、ごった煮の日記です!
ネタがない日は晩ごはんを晒していきます!
今晩のメニューは[絹さやと絹あげの和風ペペロンチーノ]です。
最近の発見ですが、山菜や癖の強い野菜でも天ぷらにするとなんでも美味いように、ペペロンチーノにするとなんでも美味いことがわかりました。
絹さやは別段癖の強い野菜という訳でもないんがね。
さてこの絹さや、3月にポリポット苗を購入して本日初の収穫です!
成長を見守りつつ、すじっぽくなったら嫌だな~と早めも早めに収穫してしまいました。
毎日観察していると美味しさも一層、という月並みな感想は置いておいて。
節約レシピというからには内訳を書いておかなくては!
[絹絹ペペロン 2人前]
絹あげ 95円
卵 32円
パスタ 60円
計 187円
※調味料、常備薬味、電気代等は除きます。
節約メニューとしてはまずまずでしょうか?
こんなんで腹いっぱいにならんわ!という方に…
同じお皿で絹あげを残して細かくし、そのままごはんをどーん!まぜまぜ
絹絹丼の完成です。
微妙に残った温玉が良い味出してます。
[絹絹丼]
絹絹ペペロン 187円
ごはん 30円
計 217円
1品物で200円越えると微妙でしょうか?
この場合2品だからアリか?
ともあれお皿もキレイになって一石二鳥です。
実は絹あげが調味料を吸って塩辛かったので丼にしましたw
節約ごはんには応用力も必要ですねっ!!!